EGUCHI HOLDINGS GROUP

夢を現実に!!! 祝400回-5! 2017/11/29【 Vol 405 】


こんにちは!
人生初めてカンボジアはプノンペンの地を踏みました。
日帰りでの投資案件の視察でしたが、やっぱり現地見ないといけませんね!

これで2ドル…ヤバイですよね…

エグチホールディングス株式会社 江口勝義 です。
いつも読んで頂きありがとうございます!

今回も前回からの続きです…

僕が28歳になる頃には、会社的に大きな勝負をかけ始めました。
どうしても一次の鉄筋屋さんから仕事を貰う〝 下請けでは 〟無く、ゼネコンから直請けする〝 元請け 〟になりたい。

下請けとして名前が売れるのでは無く、もっと風上で仕事をしたい。
ずっとそう考えていたので、この頃から一人で将来の絵を描き始めていました。

本来ガチガチ保守的なオヤジは、改革案を出してもなかなか腰が動きません。
一つ一つ、頑固なオヤジを説得していく作業は途轍もなくイライラの連続でした…

僕の記憶が確かなら、この頃の売り上げは年商5000〜6000万円程。
この頃掲げていた目標は年商1億円。

直ぐ近くにいてくれる先輩方がその位の売り上げは上げていたので、イメージする事は出来ましたが、達成までに時間がかかる事を覚悟もしていました。

この頃、あるゼネコン様がホームページ上で、協力会社募集をかけていました。

このゼネコン様は全国的に活躍されている一部上場企業。
この時の規定の中に売り上げ3億円以上というものがあり、程遠い道のりだな…
と、つくづく感じた事を今でもよく思い出します。

僕達鉄筋工事屋は、材料である鉄筋棒鋼は、お客様であるゼネコン様から支給して頂いて、加工取り付けの手間のみ請けることが殆ど。
手間仕事のみで1億円や3億円と言うのは、かなりの規模と仕事量になります。

仮に手間請けのみでその金額を叩きだそうとすると、1年間で加工、取り付け共に考えた時、12000〜15000人は手配できなければ難しい。

気が遠くなる目標ではありましたが、そのうち達成されるだろうな…とも思っていました。

この頃は平成大不況と呼ばれる〝 失われた20年 〟の真っ只中。
時代背景や僕達親子の経営レベル、色々と考えなければならない事は山積みでしたが、僕は必ず這い上がれる!と、根拠のない自信に満ち溢れていました。

元請けになるために僕がまずした事は、とにかく元請けでやっている先輩達にお時間を頂き、ご指導して頂きました。

先輩方からお聞きする内容全てを、聴きながら自分に置き換えていく事を常にしていました。
自分ならどうするか…
今の弊社にならどのやり方が通用するか…

数々の先輩方に教えて頂きましたが、今では鉄筋工事屋としては愛知県でダントツNO1の、スギウラ鉄筋の杉浦社長からの教えを1番頭に置いて行動していきました。

スギウラ鉄筋様とのお付き合いは、細かい事はここでは書きませんが、僕が23歳当時、江口鉄筋に復職する前に、半年ほどアルバイトとして働かせて頂いていた会社です。

実際この時に180日免停になり、仕事を続ける事が困難だと考えた時に、スギウラ鉄筋さんを辞めて江口鉄筋に復職しました。

恥ずかしながらアウトローな生活をしていた僕は、数々のアルバイトなどしてきましたが、まともにキチンと辞めたのはこのスギウラさんが最初で最後です…涙

ある日突然行きたくなくなって辞めてしまうから、スジを通して辞めた事が無かったんです。

当時は5名程で運営していたスギウラ鉄筋…
この20年余りでの快進撃を目の当たりにして、杉浦社長の事はずっと、今でも尊敬し続けております。
この社長からの教えなくして今の弊社はありません。

いつも感謝しております。
改めましてありがとうございです!!

杉浦社長は昔から、兎にかく謙虚。
人として、経営者としてそうあるべきだと学ばせて頂いております。

本格的にゼネコン様への営業活動などをし始めたのが30歳位の頃です。
初めは10%を元請けで受注して、残りを下請けとしての受注を目指す。

しばらくすると目標は30%を元請けとして、残りを…
しばらくして…50%…

これを繰り返しやり続け、その度に上方修正をやり続ける。
気付くと3年も掛からない期間で、100%元請けとして受注をしていました。

よく友人達から相談を受けます。
いつ、どのタイミングで人と仕事を増やせば良いのか? 人が増えると怖い…と。
これが1番多いです。

答えは一つですよね。
言い訳なく、今からですよ!
今一念発起してやるしか術はない。

人を入れて固定費が払えなくなるなら、自分が給料取らなければいい。
それが嫌ならその分の仕事を作る、若しくは受注してくる。
生じてくるジレンマやプレッシャーに押し潰されそうなら1人でやり続けるべき。

ただ、1人でやれる仕事の量は知れてます…
それをどう考えるか?ですね。

極々シンプルなのですが、皆さん考えすぎだと思います。
考えるよりまず動いた方が良い。
仕事が忙しすぎて倒産した会社を見た事ないですもんね…

これくらいから、2008年のサブプライムローン、リーマンショックが起こるまでの数年間で会社はまずまず成長しました。
この頃の売り上げは4.3億円を超えるようになりました。

古い体質だった鉄筋屋業界に、新興勢力として名乗りを上げ、金額と技術で一石を投じるのには十分なインパクトを与えたと考えています。

この後ですよね…
本当に死ぬかと思いました…

リーマンショックが猛威を振るい、こんなにも金融と言うものは世界で繋がって、瞬時に伝播するものなんだ…と驚いたと同時に、受注金額は現行の6割で提示され、嫌ならヤメろ…というゼネコン様からのプレッシャーに負け、赤字必至で受注をせざるを得ない会社や業界の状況に毎日絶望していました。

世間では仕事が全くない、取り合いをしている時期に、本当に有り難かったのは、弊社の請負トン数が減らなかった事。

請負金額はディスカウントの連続で売り上げも6掛け。
しかし、弊社のお客様は他のもっと安い同業者には行かず、むしろ弊社の受注量は増えていく現状に。
本気でお客様からのニーズに応えていく事ができれば、必ず生きる道がある!
と、気付かされました。
徹底してやり抜く覚悟も生まれていました。

翌年のリーマンショック後の決算は、過去最高の4.3億円から2.6億円まで急降下。
何とかしないと…
この頃立てていた目標、売り上げ5億円も間近に迫ったこの時期に、こんな落とし穴があるなんて…

結果、この辺りの2期は赤字を出しました。
まだまだ僕の頭が現場人としての能力しかなく、その辺りの勉強もせず、丸腰で戦い続けてきた事の〝 結果 〟が出たと言うことです。

この辺りから本気で色々な勉強会やセミナーに行き始め、両親に頼りっぱなしで帳面を見ることもしなかった自分を恥じました。

全ては経営者の責任。

「 任せてた店長が辞めやがって… 」
「 うちの社員はアホばっかりで… 」
「 もう少しレベルの高い仕事やスタッフと… 」

結構そう言われる経営者の方々は見えますが、全ては僕たち経営者が作った世界です。

会社の経営状況が悪いのも、お客様が逃げていくのも、単価が悪くて赤字仕事を請けるのも、社員同士の仲が悪いのも…

経営者以上の能力を持った社員は絶対に定着しない。
その経営者を超えてしまった時点で、その人は会社を去ります。
僕たち経営者は本当の意味で自分自身と、会社の改善点に目を見張りコントロールしていくしかない。

言い訳の無い会社運営をして行く!と、心底心に誓ってやって行くしか無いんですよね…

世の中がどうであれ、いつまでも落ち込んでいられません。
前進あるのみ!

スギウラ鉄筋を間近で見させて貰って、10億円以上の売り上げを意識するようになりました。
そんな売り上げ、あげられるんだ…

僕の中では鉄筋工事での売り上げ10億円は頭の中には無い。
これは本当に達成するのは難しい。
何故なら、どのゼネコン様に営業に行っても、先にスギウラ鉄筋が入り込んでいる。

僕らが営業を掛け続けると言う事は、スギウラ鉄筋とのバッティングを意味する。
知り合いならともかく、師匠とのバッティングは望みませんから…

「 他に何かいい仕事ないのかな… 」
20代の頃から常に考え続けてきた事。

これはライフワークと言っても良いくらい、
毎日車の運転中、仕事中、休憩中、パチンコ中、トイレ…
ずっと考え続けて来ました。

多分これを見て頂いているビジネスマンの皆様も同じじゃないでしょうか?
ビジネスの種を見つけ、仮説をたて、リーガルチェックをして、検証して実行に移す。

僕は新規事業を始める時に、初年度から年商で1億円程が見込めないとやらないと決めています。

もちろん例外もありますが、どうしても規模感がある程度出ないと、固定費が重くなってしまいます。
それでも行ける!と確信したビジネスをやってみることにしていますが、2009年のある日、太陽光発電に関する法律が変わる事をテレビなどで知りました。

まだメガソーラーの建設、運用は一般的には許可されておらず、一般家庭用の屋根に設置する太陽光発電の売電のスキームが素直に凄い!と思え、全社をあげて調べた結果、これならうちにも出来る!

リーマンショックで酷く痛んだ弊社でも、設備投資なんて殆どかけなくても勝負できる!と踏んだのです。

実際この時に投下した、工事車両の150万円や、屋根に材料を上げる、ハシゴと兼用になっているスライダーの40万円は、当時の弊社には気が遠くなる程の投資でした…
この頃は本当死にそうでした…

本格的に会社が稼働し始めたのが2010年3月。
実際この後の1年間の売り上げは1億円に僅か足りない形となりました。

僕の考えでは、人や会社は〝 何か 〟を目指した方が良い。
本当になりたい〝 何者か 〟を目指していれば、もしかして到達しなかったとしても、そちら側に寄って行くものであると考えています。

この頃は何を目指して良いのか…
とにかく稼ぎたい。
しかし、先行きが不透明過ぎる…読めない。

国の施策と共に動かなくてはならない周りの同業者も、全く同じ考えだったのではないでしょうか?

僕はネットワークビジネスの時の経験から、物を人に売ると言う行為では誰にも負ける気がしません。

勝手に人様に迷惑を掛ける事もなく、心の中のどこかでそれを自分に言い聞かせ続けています。

しかし、売り方も分からない、どうすれば良いのかわからない個人邸への飛び込み営業は本当に厳しいものとなりました。

当時、販売をしていた社員と何度か飛び込みましたが…
ハッキリ言って全く売れる気がしない。
半日程社員と同行したある日、僕は塞ぎ込んでしまいました。

どうすればいいのか…
飛び込み営業の厳しさと、彼等の持つノウハウって素直に凄い。

僕が実際にやってみて、こんなに難しいと思えるのなら、他の方法があるんじゃないか?
毎日葛藤の日々が続く、ある日曜日の早朝に一本の電話がおっ母さんからかかってきました。

親父が自宅で亡くなった…
とてつもない衝撃でした…

突然訪れた訃報に、当分立ち直れない様な脱力感に見舞われました…

長くなるので続きは次回。
いつも最後まで読んで頂きありがとうございます!