EGUCHI HOLDINGS GROUP

夢を現実に!!! 分社化第1号!!


こんにちは!
今日は秋休み?でゴールドコーストから帰国している9歳の次女、ネオと〝 九州墓参り一拍2人旅 〟で帰国の途についています。


エグチホールディングス株式会社 江口勝義 です。
いつも読んで頂きありがとうございます。




皆様にご報告があります。
僕が11年前に作った会社、エグチスチール株式会社(元HUTEX株式会社)は、平成29年4月1日付けにて、2つの会社に分社化させて頂きます。


元々、エグチスチールは鉄筋工事をゼネコン様から請け負う〝 鉄筋工事業 〟と、エグチホールディングスなどの太陽光発電の工事を請け負う〝 太陽光発電工事業 〟の二本立てでやって来ました。


この会社は思えば11年前、建築工事や土木工事が忙しい時期だったと言うことと、経営と言うものを1から自分で作り上げやってみたいと考えて作った会社。


当時の僕は本当に安易な考え方でした…


クズでもバカでも何でもいいから手に職のある職人集まれ!!
その職種の人間が入社したら、その職種の会社に突撃営業をして人を送り込む…
本当に経営者として浅はか…


本当ーーに、クズとバカしか集まってこない…


貸したお金は返ってこないどころか、当時借りていた寮に置いていた家具や車を持ち逃げされたり、仕事出て来ないなぁ…と思い寮を見に行ったら、職人同士でシンナーやっててその場でぶん殴っちゃったり…汗


シャ◯やってて、キマリまくってる奴の首根っこ捕まえて、やっぱりぶん殴って警察署に連れて行ったり…これは本当に笑えません…涙




本当ーーに問題のある会社でした…
が、2009年頃、アホとバカは必要ない!と言う方針に変え、エグチホールディングスの100%子会社にしてからは徐々に普通の会社に…笑


平成28年3月期の決算におきましては、弊社の子会社ながら初めて売上が10億円を突破。
この頃から僕の頭の中では、
鉄筋工事業と太陽光発電工事業とを分けよう。
分けることにより責任を明確にすると共に、今の会社の中から経営者を輩出したい。


そう言う気持ちでずっとやってきておりました。




エグチスチール株式会社は今までと変わらず、僕が代表取締役をさせて頂き、鉄筋工事業と建築土木の一式請け負いをさせて頂きます。




実はこの四月付けで、エグチスチール株式会社は土木工事業である、有限会社進栄をM&Aさせて頂き、小中規模の土木建築工事を請け負える体制を作りました。
これからは戸建ての土木建築や、太陽光発電工事に於ける土木工事を自社グループ内で完結できる様になりました。


太陽光発電工事に於ける土木工事は、いつも値段に不安が残る最大の難問でしたが、我々が抱く理想にやっとまた一歩近付いた形となりました。


これはいつも言いますが、いつも応援して頂いている皆様のおかげです。
重ねて御礼申し上げます。


本当にありがとうございます!!




もう一方の太陽光発電工事業の方の会社ですが、EGC株式会社とさせて頂きます。
EGCとは…
エグチ グローバル コンストラクション の約です。





初代代表取締役には、弊社の太陽光発電工事の総責任者、星川雅人が就任し、僕は代表取締役会長と言う形で手助けして行きます。


実は先のロゴマークも社名も星川が決定致しました。


星川雅人はエグチスチール株式会社の専務と、エグチホールディングス株式会社の工事部長をずっと兼任して来ており、非常に頼もしい仲間です。


仕事において、社内で彼より信頼の置ける人間はおりません。


彼との出会いは僕が31歳の時。
彼は18歳の鉄筋屋の普通の職人でした。




当時の僕は鉄筋屋の親方バリバリの時で、毎日現場は鉄火場。
トロい奴や何度も同じことを言わせる職人には無慈悲なお仕置きをガンガンやっていました。笑


今考えると僕の精神状態は異常で、いつも何かに怒り狂い、常にピリピリモード。
僕に文句など言ってこようものなら、徹底的に事を構える。


彼はその僕の現場に協力業者の1番若い衆として仕事をしに来ていました。


実際、鉄筋屋と言う仕事は本当に難しい。
やってみれば分かる。
僕は色んな仕事をアルバイトなどとしてやって来ましたが、1番難しく、また、割に合わない仕事だと認識しています。


割に合わないと言うのは、請け負う単価や職人がもらえる金額より、仕事の難しさや責任は遥かに重い。


仕事的にも本当に難しい。
メッチャ重たい鉄の棒を決まった角度や長さに曲げて、それをミリ単位で納める。
ひと現場で数千種類の材料になります。
職人は普通、5年位は修行しないと使い物にならないんです。


しかし彼は18歳でありながらよく仕事を知っている。手がメチャ早いと言うよりは段取りや経験で現場をこなしていくタイプの職人。


「 若いのになかなかやるなぁ… 」
これが第一印象でした。


その後色々なことが起こり、彼も独立をして一人親方として頑張っていたのですが、あのリーマンショックが起こり、兎に角仕事がない。
あの頃は本当に誰も仕事を持っていなかったですよね?


でもこの頃でも弊社には仕事があったんです。
お客様であるゼネコン様から圧倒的人気を頂き、協力業者にお願いしないと仕事が回らない。


そんな時にうちの協力業者にお願いしていた現場に僕がパトロールで行った際に、応援で来ていた彼と久しぶりに顔を合わせ立ち話。
その時現在、兎に角暇だと。


この時はまだ弊社も太陽光発電事業は考えても居ない。
「 そうか… また時期が来たら一緒に仕事をしよう! 」そう言って別れました。


暫くして太陽光発電事業を立ち上げると言う気持ちが僕に出て来た時に、彼を思い出す。


ヤマダもコジマもどこでも売ることは得意だけど工事が出来ない。工事に困るのは明白。
工事を責任者として任せられる人材を広く考えた時に彼しか思い当たらなかった。


すぐに彼を今池の焼肉屋に呼び出し説得…
しようとしたら、すぐにやる!と。
何だかこっちは拍子抜け。
でも彼なら…


2009年の秋頃から僕のそばに置いて、僕が当時やって居た営業のやり方や考え方、現場での物の見方、人の在り方などを伝えていき、
2010年の1〜3月の2ヶ月間彼をとある工事会社に丁稚奉公に出しました。


太陽光発電事業は2009年の11月に全国的に始まった事業。2010年初旬当時は、工事のやり方などは一部の業者しか知らない、全く新しい産業の仕事だったので、ほぼ給料などは貰えない丁稚奉公に行って仕事を覚えると言うのが当時の常識でした。


星川に話したのは…
「 うちは社運を賭けて太陽光発電事業に乗り出す。結果が出なければ一年で撤退。 星川が工事を覚えてこれなくても廃業にする 」
と、半ば脅しを掛けて送り出したのですが、彼は見事に2ヶ月弱の丁稚奉公で期待以上の成果を伴って帰社しました。


それからはずっと弊社の中心、また、取締役として重責を担ってきており、最近では例の フィリピン中央銀行案件の責任者として、月に2〜3度日本とフィリピンを行ったり来たりして頑張っております。




僕が元々30代の頃から夢を見ていた、
「 世界の各地に会社と仕事を持ち、海外の事務所を行ったり来たりして一年を暮らす 」
と言う目標は、海外の事業を任せられる人材が居ると言うのが絶対条件。ですよね?


任せられると言うのは経営自体をです。
ローマは1日にしてならず…とある様に、ある日突然経営者になり、人生全て上手く行く!なんてことは絶対にない。
なので、ことある事に星川を含めた経営者予備軍の社員たちには、プレッシャーや思いを伝えてその都度それらを乗り越えて来ます。




今回のEGC株式会社を星川にお願いしたいと考えたのは、会社の中から立派な経営者を輩出し続けて行くという、先ずは第一弾。
僕の目標は先に書いたものとあまり変わってはいないので、ここに注力して行きます。


この分社化により、会社内から実際に経営者を輩出しているという事実が出来るのと、これを期に「 次は俺だ! 」と他の候補者達が思える様になれば最高ですね。


ただ…経営者、会社の経営は本当に楽ではない。お客様や協力業者様に迷惑を掛けることは絶対にあってはならない。
今後彼らも身をもって実体験して行くと思います。




お取引先様、お客様、協力業者の皆様
この分社化により、始めの暫くの時間はゴタつく事があるかも知れません。
もちろん、その様な事はない様に精一杯努力をして行く所存ではございますが、暖かい目で見守って頂けると幸いです。
引き続き宜しくお願い致します。




いつも最後まで読んで頂きありがとうございます!
これでまた一歩目標を達成し、夢の続きを更に追いかけて行きます!
いつもありがとうございます!!