わたしたちの生活を豊かにしてくれる「電気」。電気があるからこそ今の生活があり、電気を使えない時代と今とでは、生活そのものが大きくちがっています。もちろん、電気があるだけでは生活は変わりません。その電気を使う「技術(ぎじゅつ)」と、利用できる「道具」があって初めて、今の電気にかこまれた生活ができるのです。
今の生活はエジソンを代表とする、たくさんの科学者の研究がみちびきました。それとともに、電化製品を生み出し、売ってくれる「電器店(でんきてん)」「製造メーカー(せいぞうメーカー)」などの存在が欠かせません。
そこで今回は、電化製品で生活を変える役割を果たしたひとりである、「松下幸之助(まつしたこうのすけ)」さんについてご紹介します!
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松下幸之助さんは、電機メーカー「パナソニック」の創立者(そうりつしゃ)。「パナソニック」はだれもが知っているでしょうし、家のなかにはパナソニックの電化製品がいくつかあるのではないでしょうか。松下さんはパナソニック創立者であるとともに、天才経営者(てんさいけいえいしゃ)としても語りつがれる存在です。
明治27年(1894年)に和歌山県に誕生した彼は、平成元年(1989年)に亡くなるまでのあいだに、さまざまな功績(こうせき)を残していきました。
家庭の事情で9歳で小学校をやめ、大阪に奉公(ほうこう)に出ていた松下さんは、路面電車(ろめんでんしゃ)を見て大きく感動します。電気の力で動く電車のすたがに、自分も電気の道へ進もうと心に決めるのです。
その後、大阪電灯会社(おおさかでんとうがいしゃ)に見習い工として入社したした松下さんは、仕事のかたわら学校にもかよい、電気の勉強を続けていきました。
大阪電灯会社をやめたあと、松下さんは「ソケット」の改良(かいりょう)を始めます。ソケットとは、白熱電球(はくねつでんきゅう)をさしこむ器具のこと。松下さんはこれをさらに役立つ形へと作りかえていったのです。
そうしてできあがったのが、いわゆる「二股ソケット(ふたまたソケット)」と呼ばれる、2灯用差込みプラグ。それまでソケットには電球をさしこむことしかできませんでした。しかしこの二股ソケットは、ふたつの「電気」を使用できるようにしたもの。
電球用の電気しか使えなかった時代にとって、電球と電化製品を同時に使えるというのはとてもすばらしいことでした。
1918年(大正7年)、松下さんは松下電気器具製作所をつくります。そして電球のソケットだけではなく、自転車用のランプや電気アイロン、乾電池などへと製造を広げていったのです。
松下電気器具製作所は成長を続け、今では「パナソニック」として世界中で知られる大企業(だいきぎょう)となりました。
かつては冷蔵庫や洗濯機などをあつかう「ナショナル」、パソコンやデジカメやパソコンなどをあつかう「パナソニック」と、ブランド名がわかれていたんですよ。2008年にパナソニックに統一されましたが、昭和のころにテレビで流れていた「明るいナショナル」という歌を覚えている親世代も多いのではないでしょうか。
松下さんは9歳で小学校をやめました。小学校をやめるなんて、今では考えられないことですね。しかし明治時代には決してめずらしいことではありませんでした。おさないころから苦労をしながら、しかし電気への強い思いをなくさず、勉強を続けた松下さん。そして今では「松下幸之助」をぬきにして、電化製品を語ることはできなくなりました。
家のなかにパナソニック製品がどれくらいあるのか、お休みの日にぜひ親子で探してみてくださいね。昭和からある古い家ならば、倉庫や押し入れから「ナショナル」の製品も出てくるかもしれませんよ。