2021年8月、東京2020パラリンピックが開催されています。さまざまな障がいを抱えるアスリートたちが、日々多くの競技で活躍している様子をテレビで見ている方も多いのではないでしょうか。
今回のパラリンピックでは、開会式直前にイスラム主義組織タリバンによってアフガニスタンの情勢が悪化し、アフガニスタンの選手団が来日できない事態に陥りました。幸い、8月28日に2名の選手が来日でき、競技への出場が叶う形となりました。
パラリンピックには難民選手団も出場していますが、選手団のひとり、アッバス・カリミ(モハマド・アッバス・カリミ)選手もアフガニスタンの出身です。彼がパラリンピックに際して出したコメントは非常に重く、SDGsの観点からも強く考えさせられるものでした。
今回はアッバス・カリミ選手の言葉にスポットを当てて、ご紹介いたします。
アフガニスタン出身のアバス・カリミ選手は、競泳S5(運動機能)に出場、バタフライと背泳ぎにて素晴らしい泳ぎを見せてくれました。彼は生まれつき両腕がなく、さまざまな差別や迫害を受けて育ちました。16歳でトルコへ、そして現在はアメリカに住み、日々トレーニングを重ねています。
アッバス・カリミ選手はパラリンピックに際し、難民選手団が抱える切実な思いを吐露。大きな話題にはなっていませんが、しかしSDGsが掲げる持続可能な世界や17種類の目標について、深く考えさせられる訴えでした。
アッバス・カリミ選手に限らず、難民選手団をはじめ、パラリンピックに出場する選手の言葉は、その全てに大きな意味があります。これからの社会、そして世界において考えるべき課題を孕んでいます。
アッバス・カリミ選手はインタビューにおいて「自分は世界中に何百万人いる難民を代表している」とし、それをワクワクしていると力強く語りました。しかし彼の言葉には、難民のおかれた状況を象徴する一言もあります。
「スポーツをする難民にとって一番の問題は、大半の国が大会に参加させてくれないことだ」
これは大変衝撃的な言葉で、日本で生活するわたしたちにとっては青天の霹靂でもあります。難民選手団としてパラリンピックやオリンピックに参加できている彼らは、世界中で苦しむ難民の一握り。彼らが抱える苦悩や、費やしてきた時間、そして努力は計り知れません。
「世界中の国が、スポーツをする難民に注目するべき」、そう語るアッバス・カリミ選手の言葉は、世界そのものがまだあらゆる意味で「途上」にあることを示唆しているようにすら感じられるのではないでしょうか。
パラリンピックに出場した選手たちは、誰もが先天的もしくは後天的な障がいを抱えていますが、後天的な障がいのなかには戦争や紛争に由来するものも少なくありません。またアッバス・カリミ選手の障がいは生まれつきのものですが、彼のルーツにはアフガニスタンがあります。
パラリンピックの起源はオリンピックより浅く、1948年まで遡ります。イギリスのロンドン郊外にある「ストーク・マンデビル病院」にて開催された競技会が始まりです。この競技会はアーチェリーの腕を競うもので、出場選手は第二次世界大戦で負傷した兵士たち。彼らは主に脊髄を損傷しており、そのリハビリとして医師であるルードウィッヒ・グッドマン博士が提唱したのです。
最初はリハビリの一環でしかなかった協議会が、やがて国際的な大会となり、広がりを見せていきます。オリンピックの直後に開催されるようになったのは、1988年のソウル大会からでした。
パラリンピックは戦争や紛争と切り離すことができません。常に平和について考えさせられ、世界のどこかで戦争や紛争が起こっている現実を知ることになるのではないでしょうか。
SDGsが掲げる17の目標は、世界の環境や教育、健康、人種、平和、経済など、多岐にわたります。ひとつでも欠ければ全ての達成は難しくなり、そして17番目の目標にある「パートナーシップ」がなければ実現できません。
パラリンピックではさまざまな背景を持つ選手が出場していますが、それは世界中の情勢や環境の縮図でもあります。アッバス・カリミ選手の言葉は、SDGsの目標達成に深い意味と課題を投げかけているとも言えるでしょう。
エグチホールディングスはSDGsの実現に向けて取り組んでいます。