前回の記事「【電気の歴史】雷が電気だとわかったのはいつ?だれが発見したの?」に、雷(かみなり)が電気であることをつきとめた「ベンジャミン・フランクリン」が登場しました。この「ベンジャミン・フランクリン」は、理科の教科書にも名前がのることがあるほどの人物です。
また上の画像は、「ベンジャミン・フランクリン」の肖像画(しょうぞうが)を使った、アメリカの100ドル札。理科の教科書だけではなく、お札にも登場しているんですね。そこで今回は、「ベンジャミン・フランクリン」について、カンタンにご紹介します!
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【電気の歴史】雷が電気だとわかったのはいつ?だれが発見したの?
1706年にアメリカのボストンで生まれたベンジャミン・フランクリンは、10代のころは兄の印刷業(いんさつぎょう)を手伝っていました。その後は自分でも印刷業を始め、アメリカで最初の「タブロイド紙(※)」を発行。「印刷」の業界に長くたずさわっていました。
しかしベンジャミン・フランクリンは、印刷業だけでは終わらなかった人物なのです。気象学者や科学者、政治家、著述家(ちょじゅつか)といったいくつもの肩書きを持ち、印刷業による実業家としてもその名を知られていますが、彼の功績には、さまざまなものがありました。
※タブロイド判というサイズの新聞のこと。
ベンジャミン・フランクリンが持つ功績は数多くあります。べんりな道具の発明から政治に関することまで、「これもベンジャミン・フランクリンだったの?」とおどろいてしまうほど。その一部をご紹介します。
これら以外にも、たくさんの功績があるベンジャミン・フランクリン。何事にも全力で取り組んでいたのでしょうね。アメリカという国にとっても、電気の歴史にとっても、なくてはならない存在です。
ベンジャミン・フランクリンと日本のあいだには、意外な形の関係があります。それは、子孫(しそん)である「ロバート・ウォーカー・アーウィン」が、日本人と結婚(けっこん)したこと。もちろん、ベンジャミン・フランクリンがこの世を去ってから100年以上経っているので、本人は知らないできごとです。
この子孫のロバート・ウォーカー・アーウィンもまた、ベンジャミン・フランクリンと同じようにアメリカの実業家でした。日本人がハワイに移住(いじゅう)する事業にも関わった人物。日本人との結婚により、日本とアメリカとの「国際結婚(こくさいけっこん)」の第一号になりました。
気象学者や科学者として雷の正体をつきとめ、さらにはメガネやストーブを発明、政治家としてアメリカの独立に大きく関わるなど、その時代だけではなく後世(こうせい)にまで続く大きなえいきょうを残しました。
ベンジャミン・フランクリンが雷の実験をしていなかったら、政治家ではなかったら、どんな世の中になっていたのでしょうか。雷のメカニズムの解明や、アメリカの独立なども、少しおくれていたかもしれないですね。